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幕末医学史というか、柏原学而と高松凌雲を追いかけて。
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 中桐と柏原
2011年07月06日 (水) | 編集 |
中桐家と柏原家の往復についてある程度推論ができたのでメモ。
ついでに疑問点も洗い出し。

?中桐家と柏原家の関係
・小豆島への種痘には中桐家が絡んでいるに違いない
?小豆島への種痘時期と学而さんの適塾滞在時期
   種痘が先なら、中桐→緒方ルートが見える
   学而が先なら、学而が小豆島の種痘に何らかの形で関わっている可能性が高い
・学而が柏原家に戻ったのは、
   小豆島の医者「中桐」という名前よりも
   シーボルト門弟・高松藩医「柏原」の方が色々便宜がはかりやすいからではないか
?なぜ学而は適塾に行ったのか
 柏原の家にとっては跡取りの兄だけいけばいい話。なぜ兄弟で行ったのか
   1学而の遊学希望 2パパの好意 3学而の頭がよかったから 4その全部


ということで。
学而さんの適塾滞在期間が余りに長いのではないか?
という疑問に対する私の推論は、

「適塾で学んだ後、小豆島へ種痘を広めに戻り、その後再び適塾に戻ったのではないか?」


ただし適塾期間の間、学而さんが小豆島・高松に長時間戻っているということについては
既に否定の見解が出されている。
また小豆島の種痘時期についてはまだ私の方で調査が済んでいないので、
この推論はまったくもって可能性の低い机上の空論に過ぎない。
つまり妄想。
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 『昔夢会筆記』もちょっと読んでみた
2010年06月30日 (水) | 編集 |
『昔夢会筆記』に、
「予はその隙に伊賀・肥後・越中等わずかに四、五人を随えて、
 潜かに大阪城の後門より抜け出でたり」
という一文がありました。
「柏原学而伝」にこの時学而もつきしたがったとあったのですが、
それが本当ならすごいですね。
あれ、松本良順とか何か書いてないかなと思ったら、
彼江戸にいたんですね。
すっかり忘れてました。
京都にいる慶喜お気に入りの医師っていったらあと石川桜所でしょうか。
学而さんついれていくなら桜所先生つれていくような気も。
血気盛んだから連れてったのかなぁ。
ところで学而さん、大阪城で傷病兵の救護にあたってたみたいですけど、
ほっぽりだしてよかったんでしょうか。
そこが一番気になるっ

 松香私志
2010年06月25日 (金) | 編集 |
『福翁自伝』、実家にありませんでした。
ので、とりあえず『松香私志』軽く読んでみました。
やっぱり適塾は蘭学塾ではあるけれども、
医学塾とは言い難かったように思えました。
では、適塾で学んでいた蘭医は一体どうやって医学を学んでいたのか。
長與専斎は適塾で蘭学を、医学は他のところでパターンですけれども、
学而さんはどうだったのかが気になります。

ついでに松本順自伝の方も眺めてみました。
なんで学而さんや凌雲先生が蓄髪はともかく、
騎馬の医師っていうイメージがあるのかひっかかってましたが、
松本良順が医制を改革するということで、蓄髪騎馬を言っているんですね。
乗馬袴を下賜されてるところからしても、
松本良順が騎馬していた可能性は高いですが、
学而さんが表だって騎馬していたかどうかは微妙なところではないかなと思ってます。
蓄髪は確かですけれどねっ

 学而さん 適塾時代
2010年06月21日 (月) | 編集 |
ちょっと急な予定変更で実家に帰る時期が早まったので、
適塾時代の学而さんに関してメモ。
蔵書は、所持>実家、大阪市立>府立、埼玉市>埼玉県>某大>国会で載せます。

嘉永7年(1954)閏7月23日 学而入門
嘉永7年8月4日 兄謙益入門

適塾生活→福沢諭吉『福翁自伝』長與専斎『松香私志』:実家にある
福沢:嘉永2年(1855)入塾、安政3年(1856)塾頭、安政5年(1958)退塾
長與:嘉永7年(1954)入塾、安政5年(1958)塾頭、安政6年(1959)退塾
福沢、安政2年に塾頭(土屋重朗『静岡県の医史と医家伝』)
安政3年に塾頭(伴忠康の適塾関係書):『福翁自伝』で要チェックのこと

文久2年学而ともう一人で塾頭をしていたという記載
→足立寛の懐旧談(浦上五六『適塾の人々』)
  :大阪市立図書館、総合図・書庫にある

適塾時代の学而さんの疑問点:
・ちょっと在籍長くない?
  →歴代塾頭の入門→塾頭までの年数をとる(伴忠康の適塾関係書)
・というか謙益さんはいつ帰ったんだ
・なぜ凌雲先生と一緒に江戸に行ったのか

適塾前の疑問点
・なぜ中桐から柏原に戻ったのか
・なぜ適塾に行くことになったのか
・兄との比較


蔵書検索、いろいろやってたんですけど、
出身大学の図書館にあれやこれや見忘れてたのがけっこうあって涙が。
今日一番のズキューン
→「香雲閣詩鈔」石川桜所著 が某大図書館蔵になってた…
  いや、別に詩とかどうでもいいよ、うん。そういうことにしておこう。
いやいや、そんなものより早稲田に『石川桜所伝記資料』なるものがあるらしーです。
よみてー!


長々と書きましたが、結論としては
・『福翁自伝』と『松香私志』を読む。場合によっては持ち帰る
・元気があれば市立図書館まで行って『適塾の人々』を見てくる
というのが、今回の帰省で出来る範囲でしょうか。
あ! どうせ市立図書館行くなら『獅子の時代 第1巻』も見ないとね!
凌雲先生の入浴シーンをもっかい目に焼き付けないと…
(さいたま市立図書館にもありました。さすが大河ドラマ)

 学而さんについていろいろ考える前に
2010年06月18日 (金) | 編集 |
前回、学而さんについて手元にある資料についてリストアップしましたが、
全部二次資料なんですよね。
一次史料ともいえる『柏陰』や『碩学大医柏原学而先生』などがないので、
上滑りになるのが難しいところです。
土屋重朗氏なら持っていそうなんですけれど、
どうやってコンタクトを取ればいいかというか、
まだ生きてらっしゃるのかとかすんごい不安なんですが。

どっちにしろ、ブラッシュアップの意味も込めて、
学而さんについて色々考えていきたいと思ってます。
検証するにも史・資料が圧倒的に不足しているので、
まずは「疑問点の提示」を第一義とし、
それに関する自分なりの「推論」、
関連史料を思いついた場合は「要検証史料」もできるだけ書いていきたいです。

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